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トップ  >  参禅体験をされる方への参考資料 丸川春潭  >  2.修行の三要諦「大信根・大疑団・大勇猛心」
 坐禅を組んで公案の工夫に入る際に、心がけなければならないことがある。すなわち、参禅弁道してゆく上において、三つの大切な修行の要諦がある。その三要諦とは、「大信根・大疑団・大勇猛心」である。

 先ず、最初の大信根とは、第一に宇宙に根元的な不滅の如是法が存在することを信ずる。第二に釈尊を初めとする歴代の祖師方は、そのような如是法に体達し、如是法に住して居られ、したがって私的な念慮から言行し云為するものではないことを信ずる。第三には、全ての人間は、ことごとく本来において、仏性を具有しているから、自分も真剣に如法に修行すれば、必ず仏祖と同じ如是法に体達し得るものであることを信ずる。この三つである。
次に、第二の要件である大疑団であるが、古人は「疑わざるこれ病なり」と云われ、「大疑無くして大悟無し」と云われているのである。大疑というのは、本当の信というものを根底に持って、そこから発する根本的な疑いなのである。

 公案というものは、どの則もそうであるが取りわけ、初則の公案は、仏祖の絶対的な悟りそのものであるから、これほど根本的なものはないのであり、日常の思考(相対的思考)では全く想像すら出来ないものである。これと取り組むということになると、公案自体が本質的に疑いの塊であるはずのものである。素直に、公案を正しく受け止め、真正面から取り組んでゆくと、疑いの塊にならざるを得ないものなのである。当に疑の塊の中に入り込むことを避けてはならないのである。このような大疑団の公案と積極的に取り組んで、一心不乱に、疑って疑って疑い抜くという真剣な努力が実践されなければ本当の禅の修行にならないのである。

 第三の要件は、大勇猛心である。この大疑団はそう簡単に容易には解決できるものではない。非常な苦心と努力が必要なのである。白隠禅師が修行の励みとした「刻苦すれば光明必ず盛大なり」の語を残した慈明和尚には、坐禅の修行中に眠気が来ると錐で自分の股を刺して眠気を取って坐禅に打ち込んだという逸話がある。また達磨大師の法を嗣がれた二祖慧可大師が、神光という名の青年時代に、燃ゆるが如き求道心をもって、達磨大師が面壁九年の坐禅三昧に入られて居られた崇山の少林寺に到り、雪中に一夜を立ち明かして、ついには自らの求道の真実をあらわすために、利刀をもってその左の臂を載断して達磨大師の面前に差し出した。達磨大師も不惜身命の神光の志を見て、法器なるものと認めて入門を許されたという。この「慧可断臂」の大勇猛心があるから、今日まで達磨の本格の禅が伝わっていることを常に憶念すべきである。

 釈迦と同じ悟りを開くための仏道修行、人生の根本問題を自力で解決し生き甲斐ある人生を送るための禅の修行をやる以上は、この大勇猛心・大憤志が絶対に必要な要件なのである。「釈迦も人なり、我も人なり」と、釈迦に出来たことが同じ人間である自分に出来ないことはないと発憤し、どのような困難に遭おうとも断じて挫けず、根気強くやり抜くべきである。この猛烈なる不退転の決意と自信、大勇猛心が禅の修行をやり抜く上の原動力である。
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